まちの教室とは

近くにある山のりんご畑、古くからあるお寺や神社、改修により生まれ変わったかつての空き家。まちのさまざまな場所で、話を聞いて考えたり何かをつくったり。
企画するのは、カフェやお店を経営していたり、その地域に根ざした活動をしている人。そんな人たちや参加した人たちが、いまいちばん知りたい聞きたい話を授業にするまちの教室は、週末を中心に長野県内各地で開催しています。

まちの教室は、2013年に長野市篠ノ井に日本全国で活躍する方々をお呼びし、まちと暮らしについて学ぶ12授業を半年間に渡って開催したことからはじまりました。
2014年より、長野、小布施、松本、塩尻、諏訪、伊那、小諸と、長野県内各地に開催地を広げています。

<まちの教室の考え>

この地域で暮らし、生きていくために何を選択するのか。
食や教育、福祉、働きかたなど、暮らしのなかに取り込む、選ぶということを、もっとしっかりと考えたい。
社会に対する漠然とした不安を抱え、たくさんある選択肢のなかで、自分にとって何が良い選択なのか。本質的な選択のある暮らしをしているか。まちの教室では、そんな問いを「ふかく生きているか?」という言葉にまとめ、そのための学びをつくっています。

<まちの教室の特長>

大きく価値観が転換されたリーマンショックのあった2008年から7年、2011年の東日本大震災から4年。
資本主義の目的、所有の先にあるものはなんだったのか。社会構造が急激に変化する中で、本質的で、じぶんたちの暮らしに近い選択が求められています。
典型的な成功モデルを見出すことが難しい時代。誰も合理的な選択を指し示すことができないなかで、選ぶのは自分自身。その選択のためには充分な知識と経験、有効なネットワークが必要になる。まちの教室が目指すのはそんな選択のためのコミュニティ。
同時に、たった2時間の授業で学べることは少なく、つながりをつくることはとてもむずかしいとも考えます。授業はあくまでもきっかけで、これから学んでいく方向性を示すもの。同じ興味や問題意識といった、ゆるやかなつながりから何かがはじまっていく。そんな広がりのある可能性をつくりたいと考えています。

1)教え与える学びではなく、一緒に学ぶ。学びのシェア。

授業を企画し進行する、授業コーディネーターの興味や、その地域に住んだり、縁があったりするなかで見えてくる何か。そこから授業企画はスタートします。自分たちが学びたい先生を探し出し、みんなでお金を出し合って話を聞き、対話したり考えたりする。かつての大学の始まりのような、新しい学びのかたちです。

2)幅のある学びを、たのしく。

日本全国で活躍する方の話を聞いてみんなで考える。地域のことを学び直す。子どもと一緒につくるワークショップ。まちの教室では、多様な学びの場をつくります。
企画者が育つこと。それがまちの教室の授業に参加したり、スタッフとして参加した先に目指すこと。良い企画者がいる地域には、企画者が数多くいる。その地域で活動する人数が多いまちであることが要件のひとつにあると考えています。そのためには、まずたのしい学びであること。ハウツーだけではなく、入口となる学び、楽しくつくったり、考えたり。そんな学びの振れ幅がたいせつであると考えています。

3)授業内と外で、何かが生まれる可能性を。

授業コーディネーターの人脈を参加者の人脈に。やがて参加者がその土地に通いだしたり、参加者同士が企画をはじめたり。
いろんな可能性を埋め込んだ授業に、同じ興味や問題意識を持つ人が集まり、ゆるやかにつながることで、そんな可能性を生み出しています。

そして、きっとそんな学びの先に「ふかく生きているか?」の問いの答え、その断片や答えに至るきっかけがある。さまざまな人やその発想、考えに出会い、迷い、思考したその先に、本質的な選択に対する自分にとっての正解があると信じています。