report

ことばはこれからさがす。

「まちの教室」スタッフの小林です。

今、こうして書いている文章を書いている自分と、それを読んでいるあなた。
日本語が分かる人なら、一応「通じている」ということになっているけれど……
ほんとうにそうでしょうか?

普段のコミュニケーションのために、何の気なしに使っている「ことば」。
でも、それってほんとうに伝わっているのか?そのことばの、どの意味を受け取っているんだろう?
じっくりと考えてみると、ぼくらは知らず知らずのうちにとても高度なコミュニケーションの方法を使っているのかもしれません。

10月最初の授業は、そんな「ことば」に注目しました。

20151024040_01

今回、講師にお迎えしたのは、信州大学の有路憲一さん。
脳科学を専門に研究されているのですが、それを「恋愛」というぼくらにも身近なテーマに応用されたりなど、とても気さくな方。

20151024040_02

そんな有路さんが「辞書」に興味を持ったのは、なんと7才の頃だったそうです。

辞書に「正解」は載っていない!?
辞書といえば、主には言葉の正しい意味を調べるために使うもの。ですが、出版社によって同じ言葉でもそれぞれ載っている言葉の意味や解説の仕方が微妙に異なっているんです。

20151024040_03

そのことに衝撃を受けた有路少年は、それから辞書を「読み込む」ようになっていったそうです。中でも印象に残っている辞書が、新明解国語辞典の第3版。編者の個性的な解説は、群を抜いていました(笑

例えば、ある国語辞典で「動物園」を調べてみると、こうあります。
『捕らえてきた動物を人工的環境と規則的給餌とにより、野生より遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設』

それが新明解だと……
『公衆に生態を見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえてきた多くの鳥獣、魚、虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする人間中心の施設』

同じ言葉の解説でも、編者の主観や感情などが垣間見えてきますよね。

そういえば、ぼくも小学校の高学年くらいに国語辞書にはまった時期がありました。
知らない言葉をコレクションしていくような楽しさや「もの」や「こと」など単純な言葉ほど難解な言葉で解説がされている不思議さに、先生の話そっちのけでページを追っていたことを覚えています。

まちに溢れることばを自分なりに解釈してみる。
さぁ、いよいよ「ことば」を採集しにまちへ飛び出す時間。
見つけた言葉には意味=「語釈」と、どんな時に使うか=「用例」をつけていきます。

20151024040_04

20151024040_05

20151024040_06

しばらくして、再集合した各チーム。
みなさんが見つけてきた「ことば」の発表の時間です。

20151024040_07

==========
あ、すみません
1)すみませんの前に「あ」と付け加えることにより、あたかも偶然に起こったことのようにごまかすこと
用例「あ、すみません。ぶつかっちゃいました……」
==========

==========
かんじゃさん【患者さん】
1)病を患った者を呼ぶ時の総称。「患者」でも通じるが、少し上から目線なので語尾に「さん」をつけている
==========

==========
じしょ【辞書】
1)言葉を固定しようとする人々の足掻きの結晶
2)現状を構成する言葉を定義づけた集合体。完成すると過去のものになる
==========

20151024040_08

この人は、どうしてこのことばに惹かれたんだろう……
採集してきたことば、その語釈の言葉の選び方にその人の「ひっかかる」ポイントが垣間見えます。

ただ、個人的にも残念に思ったのが、2時間という授業時間の短さ……!
こればっかりは運営をしているスタッフながら、もっと時間をかけて「ことば」を探して、みなさんと話してみたかったなぁと悔しい部分です。

伝わらないからこそ、続くコミュニケーション
タネ明かしとして、有路さんが「ことば採集」の後にみなさんとやろうと考えていたことを教えてくれました。
それは「一つの共通した言葉の語釈を、それぞれでつくってみる」というもの。
例えば「懐かしい」や「ふつう」ということばの意味をそれぞれで考えて、発表しあってみる。
すると、ことばの裏に潜んでいる、他者との差異が浮き彫りになってくる。

「人と話していくと、意味がズレていくのが当たり前。その溝を埋めてコミュニケーションをしていくには、対話をし続けることが大事だと思います」と有路さん。

ぼくもある時、仕事仲間に頼み事をしたら、全然伝わっていなかったことがありました。
そんな時「どうして伝わらないんだろう……」とイライラしたり、不安になったりすることってありませんか?
だけど、今回の授業にもあったように同じ日本語を使っていても言葉の捉え方や受け取り方は人によって様々。それだったら、どうやったらその人に「通じる」言葉を選ぶかを考える方が未来につながっていく気がします。

当たり前すぎて、なかなか立ち止まって見つめてみることの少ない「ことば」と「対話」の曖昧さや便利さ・不便さを改めて実感しました。それと同時に和英辞典など「外国語を日本語の意味と対応させたんだろう」と新たな疑問も湧いてきたり……

スピンオフ企画としても続いていきそうなこの授業。
その時は、今回参加できなかったみなさんも是非、遊びにきてくださいね!

20151024040_09

それでは、有路さんがしみじみと授業を締めくくったこの言葉で終わりたいと思います。
「いやぁ、もっと話したい。でも、今日はここまで」

20151024040_10

(まちの教室スタッフ 小林稜治)

===

有路憲一(信州大学 准教授/脳科学者・言語学者)
上智大学卒業、上智大学大学院修了、同博士課程や国際高等研究所研究員(神経科学部門)を経て、カナダMcGill University大学院Doctor Courseへ留学。2004年信州大学 特任講師を経て、2009年より信州大学 准教授。
専門は、認知神経科学、神経言語学、神経教育学、恋愛脳科学。
著書・論文に 『臨床脳波 事象関連電位研究への言語学・言語心理学的アプローチ』、『脳科学と教育の“ゆるやかな”関係』、『早期教育を考える』(児童教育)、『早期教育の落とし穴―認知神経科学的見地より』、『認知神経科学から教育への冒険的試み』、『禁断の果実:脳科学―脳科学ブームとの付き合い方』など多数。